2008年5月16日 (金)

自民公明独裁政権の脅しや買収に負けないで、共に闘おう

 企業の環境汚染犯罪である。
 小さな田舎町に有害な廃棄物が不法投棄されている。
 川には魚の死体が浮かび、住民にも健康被害が出始めた。しかし、住民は沈黙している。
 僅かなお金で買収されているからだ。また、監視役のチンピラに暴力で脅されているからだ。
そこへ環境保護局の捜査官がやってきた。
 彼は、住民達に訴える。町の未来や、子供達の将来を。

 2007年7月の参院選に惨敗した安倍自民党政権は、解散することなく9月に突然逃げ出した。自民党の民意を無視した政権の私物化による自民党総裁選挙を経て、福田政権となった。
 一政党の都合だけで総理大臣が変わった。これで民主国家と言えるだろうか。
 国民は福田自民公明党独裁政権に反発して、即時解散総選挙を要求し続けている。もうすぐ1年になろうとしているが、独裁政権の常として国民の要求は無視。自分達の利権漁りに一所懸命だ。
 日本人は従順でおとなしいと言われている。お上には逆らうな。長いものには巻かれろ。
 支配者・為政者にとって大変都合の良い国民である。牛や豚の如くに扱えばいいのだから。
 しかし、日本の未来、子供達の将来を考えよ。このまま自民公明党独裁政権を存続させていいのか。
 世界の中で、人権が蔑ろにされていると認識されている国が日本である。安倍晋三は、その人権をもっと奪おうとして、憲法改正を声高に叫んだ。小泉のようには騙されないぞ。
 小泉純一郎は何でも自己責任という。それなら、政府は不要だ。政官財の都合のいい自己責任を押し付けるな。
 甘味の無い年金・健保等に使う税金は無い。自己負担せよ。利権が見込める道路に使う税金は死んでも取るぞ。
 もう沈黙は止めよう。脅迫や買収には断固拒否拒絶し闘おう。
 われわれ国民の力で、国民を幸福にする政権交代を実現させよう。
 主役は、国民である。

参考
『沈黙の断崖』 フェリクス・エンリケス・アルカラ監督 スティーヴン・セガール主演 1997年作品

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2008年3月 8日 (土)

推定有罪の裁判官は、罷免せよ

 痴漢裁判である。

 痴漢被害者、痴漢狂言者、痴漢犯人、無実の犯人、目撃者、警察、検察、弁護士、裁判官などが登場する。

 先ず、被害者証言の信憑性の裏付けは取れたか。

 次に、容疑者証言の信憑性の裏はどうか。

 物証はあるのか。その信憑性はどうか。

 目撃証言に信憑性はあるか。

 裁判は有罪か無罪かを判定する。それが真実か間違いかは、問題にならない。つまり、冤罪の可能性がいつでも存在している。

 だから、疑わしきは容疑者の利益にならざるを得ない。たとえ、99人の真犯人を逃がしたとしても、1人でも無実の犯人をでっちあげてはいけない。

 裁判には、3つのケースが考えられる。

1、         真の被害者と真犯人。

2、         真の被害者と無実の犯人。

3、         偽の被害者と無実の犯人。

 それぞれのケースに有罪と無罪の可能性がある。我々の期待する裁判は、1の真の被害者と真犯人の場合のみ有罪になることである。

 2では、真の被害者には残念であるが、真犯人がのうのうと生きながらえ、無実の犯人が制裁を受けるのであれば、この時点で真の被害者は無実の犯人に対して加害者となってしまう。

 3は、全く論外である。しかし、警察や検察はこのケースを考慮に入れているのか疑問がある。

 裁判は予断をせずに、客観的な証拠に基づいて判決を下すべきものである。この資質に欠ける裁判官はとっとと辞めるか罷免しなければならない。ただ司法試験に合格したというだけで、裁判官になれるというのは問題である。

 また、裁判官の独立というが、公務員である以上、出世がしたいだろう。当然のことだ。ここで問題は、誰が人事権を持っているかということである。それは、最高裁が持っている。

 つまり、最高裁の意向に副わない判決をすると、飛ばされる。左遷される訳だ。

 では、最高裁の判事は誰が決めるのか。これは内閣が任命する。つまり、最高裁判事になるには、政府のために判決すればいいということだ。

 有罪率が高いのは、警察、検察の優秀性が高いからでは無い。有罪になる可能性の高いものしか起訴しないからである。これは、国民の裁判を受ける権利を損なうことにつながっている。

 また有罪率を下げないために、証拠を捏造したり、不利な証拠は隠したりする。

 正義は、ここには全く入り込む余地が無い。

 ここでは、推定有罪であり、疑われたら何を言おうが無駄である。警察検察は自白しか聞きたくないのであるから。

 困ったことに警察検察は国家権力の象徴であり、我々の自由を奪うことが簡単に出来るからである。

 我々はせめて密室での取調べを拒否し、偽造の出来ない映像の基での聴取を要求しよう。これは、警察検察にとっても、利益がある。なぜなら、不当な取調べはしていないという証拠になるからである。

 しかし、このことに警察検察は賛成しない。賛成しないということは、不当な取調べが常態になっている、とみなされても文句は言えまい。

 また、客観的証拠に基づかず、合理的論拠を見出せないので、強引な自白を強要することしか出来ないという、警察検察の能力不足を示している。

 推定無罪であれば、犯人扱いは出来ないだろう。不当な拘留は出来ないだろう。しかし、実態は犯人として待遇され、人質司法と言う長期拘留を強いる。こんなことを許している裁判所は、政府の狗としか言いようが無い。

 3権分立であれば、司法は行政から圧力を受けない。しかし、実態は内閣の下に裁判所がある。司法は政権の言うがままである。これを恥ずかしいと思う裁判官が何人いるのだろうか。

 裁判官をまともにする方法がある。内閣が任命する最高裁判事を選挙で決めるのである。選挙といっても、選挙運動はしない。ただ、立候補者の過去の裁判を列挙するだけでいい。国民はその裁判記録を見て、相応しいと思う裁判官に投票する。これだけで権力の狗になる裁判官を排除できる。

 また高裁の裁判官も同様の方法で選べば、下級裁判所の裁判官も次第にまともになっていくはずである。

 こうすることで冤罪をなくし、警察検察の権力濫用を防ぐことになると思う。

 また違憲裁判も容易になるだろう。

 一部の特権階級に都合のいい変な法律も排除できるだろう。

 腐臭漂う自民党政権を倒し、国民の幸福を実現する政権を樹立し、裁判制度を根本から改めよう。

参考

『それでもボクはやってない』 周防正行監督 2007年1月作品

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2007年10月16日 (火)

ボブ・ジェームス

30数年ぶりに、ボブ・ジェームスの華麗なキーボードを聴いた。

その頃は、京都にいた。けっこう上等なオーディオを持っている知人がいた。そこで初めてボブ・ジェームスの音に出会った。

「夢のマルディ・グラ」は、ポール・サイモンの作曲だ。

パティ・オースチンのヴォーカル「アイ・フィール・ア・ソング」も良かった。

ビゼー原曲の「ファランドール」も良い。

今度は「はげ山の一夜」を聴いてみよう。原曲はムソルグスキー。「はげ」という語に、少し抵抗を感じるが、これも今日まで生き延びてきた結果だから仕方が無い。

「ノーチラス」「ソレース」は、軽い感じが良い。

パッヘルベルのカノンを素にした「イン・ザ・ガーデン」。

「ヴァレイ・オブ・ザ・シャドウズ」「ソウレロ」など、懐かしく楽しんでいる。

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